国際協力を通じて、自らのありたい姿へ - 藤山美律

更新日:

想いは持っていてもそれを現実にすることはとても難しい。
現実にするまでには、何度も逆境が立ち現れてくる。逆境が現れた時、「もう無理だ」、「今回は仕方ない」とあきらめた経験はないでしょうか。

「岐路に立ったとき、困難な道を選ぶ」彼女は現在、大学でトルコでの難民の受け入れに関しての研究をしています。
彼女が国際協力の分野に興味を持ったのは小学校三年生のころだったそうです。そこから一貫して国際協力に関連する活動を行い、現在は大学で自らのやりたい研究で自主研究奨励事業の認定をもらい実際に現地に足を運び研究活動を行ったり、国際協力関連のイベントを企画したりしています。


国際協力へのきっかけ

幼少期から国際協力に興味を持った藤山さんはどんな子供時代を過ごしていましたか?

藤山:少し勉強ができるくらいで、周りの子に勉強を教えたりしていた記憶があります。でも他の子たちと特別変わらない子どもだった思います。

そんな藤山さんでしたがあることがきっかけで国際協力に興味を持つようになったそうです。

藤山:小学校三年生くらいの時だったんですけど、「もし世界が100人の村だったら」という有名な本を読んだことがきっかけで国際協力には興味を持ちました。


普通に日本では食料廃棄があるのに、アフリカでは、食料が足りないってなんでやねんと思っていました(笑)


小さかったので単純にそれっておかしくないと強く感じたんです。


そして、その時にちょうどタイミングよく小学校に青年海外協力隊の人が学校に来て話を聞いたりする機会もあって、興味が大きくなっていきました。


そしてそこからも国際協力に対しての興味は尽きず、小学校、中学校、高校とどんどん興味を持ったことを調べていったといいます。

藤山:初めは、食料システムを変えたいと思っていたんです。思い立ったら直進するタイプなので、どんどん世界の食料事情について調べていきました。ただ調べていく中で、外交関係という問題も出てきましたし、外交問題について調べる中で、戦争や国際法にも興味を持ち、自分で勉強進めていました(笑)

国際協力への原動力

自らが、描きたい未来に向けて前向きに考えてきた藤山さんですが、そもそもどうしてそこまで国際協力に向けて想いを持ち、行動してきたのでしょうか。幼少期途上国に住んでいたわけでもない彼女が国際協力へ強い想いを持つ理由を伺いました。

藤山:なぜ国際協力に強い想いをと言われると難しいですね。長く考えてきたから国際協力への思い入れはとてもありますが。

どちらかというと昔から持っている自分自身のありたい姿につながっていることが国際協力への原動力です。


私は、昔から他者に必要とされる自分でありたいという想いを持っているんです。

この思いを持ったのは両親の影響が大きいと思います。


私の両親は医療関係者なのですが、2人ともお金とか時給ベースの考えではなくて相手が喜ぶことベースで仕事をしていました。


例えば徹夜で働いた次の日も患者のために身を粉にして働いたりとか、

患者のために自分がすべき最善のことは何か考えて上司に対しても噛みついていたりとか(笑)


そして、実際にそういう姿や話を両親から見聞きする中で、

誰かのためになろうと信念をもって生きることは良いことなんだ、

自分もそういう人になりたいという想いを持つようになっていきました。


実際、小学生の時とかは周りの子に比べて少し勉強ができたので、

周りの子たちにミニ先生のような感じで勉強を教えたりしていました。

今思い返すと、その当時から人の役に立つ両親の姿に近づきたいという想いがあったように思います。


国際協力を志すか、迷った時もあった

国際協力に携わる中で自らのありたい姿へと近づいていく藤山さんですが、なかなか自分が進む方向を定めることができない時期もあったといいます。

藤山:国際協力という大きな分野を本気で考えると構造が複雑すぎて、自分にはアプローチできないと思ってしまったんです。


その中で自分がやれることは何だろうと考えた時に、そういった途上国に行って、現地で草の根的に活動することかもしれないと思ったんです。


でも、実は私、蚊アレルギーで蚊に刺されてしまうと本当に命の危険があるんです。


だから途上国で活動をするという選択は絶対にできなくて。その時は本当に自分は国際協力という分野で生きていくべきなのか迷うこともありました。

体質によって思うような選択をすることができなくなってしまった藤山さんでしたが、そんな自らにふりかかった不条理な状況にも彼女は負けず、自分が関わりたいと思える難民という分野に出会います。国際協力の中でも難民支援に携わろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

藤山:難民への関心が高まったのは進路に悩んでいた高校三年生の時でした。


きっかけは二つありました。

二つとも偶然なんですけど、

一つは日本人がイスラム国の標的にされたことと、

二つ目はトルコの海岸にクルド系シリア人の男の子が打ち上げられたというニュースを見てショックを受けたことでした。


理由はわからないんですが、私はその難民の男の子が死ぬ前に何かできなかったのかとすごく強い感情がわいてきました。


また、先ほども話しましたが、体質的に途上国の現場に出て活動することは難しかったので、こんな体質の私でも、その子供のように困っている難民に対してなら何かできるのではないかと思ったんです。


そこからの藤山さんは、大学付属の高校に通っていましたが、自分が学びたい難民についてを学ぶために受験を決意します。その後、入った大学で学べることに限界があると感じて、大学3年次には転部もされています。そして転部した学部では、大学から自主研究奨励事業に認めてもらい念願のトルコで難民に関する研究を行ってきました。

信念はあっても決断は怖い

成し遂げたいことに向けて、何度も環境を変えていく彼女ですがそこに恐れや怖さはなかったのでしょうか。

藤山:もちろん怖いですよ。みんなと違う選択をするわけですしみんなと違う決断をするということは自分の責任なので。


転部を決めた時もお世話になった教授にここでは私が学びたいことが学べないのでと言って転部の試験を受けることになるので落ちたら終わりだなとか思っていましたよ(笑)


でもそんな勇気がいる選択をするときに、常に支えになっていたことが二つあります。

一つは尊敬している父の言葉、

もう一つは周りにいてくれた人の存在です。


一つ目の父の言葉は、「岐路に立ったら困難な道を選べ」というものです。


この言葉を大切にする理由も、私が他者に必要とされる自分でありたいという信念を持っているからなんです。

言葉の意味は、そのままなんですけど、選択に迷ったら、自らの信念にしたがって厳しい環境でも行動しようということです。

実は私の父は医療関係者と先ほどお話したのですが、一度違う仕事についてから、自らの信念に従って、大学に入りなおして今に至るという人間なんです。信念を持って選択しているから、困難があっても立ち向かっていくという姿勢は父からの影響ですね。確実に血を引き継いでいます(笑)


二つ目は今までの環境でそうだったんですが、自分自身が一生懸命行動していることを認めたり、期待してくれるような人たちがいつもいました。


実際に国際協力に興味をもって勉強していた中高時代も、その姿を認めてくれる友達がいたり。

大学に入って実際に現地で研究をしたいと思ったときにも、やっぱりトルコは治安が悪いから女1人で行くのは不安なんですよ。

でも教授がいいじゃん行ってきなと背中を押してくれたり、両親もあなたがやりたいと思うならやりなさいと言ってくれて。

自分のことを応援してくれるような人がいたからこそ、ここまで頑張れたと思います。本当に感謝ですね。


今後、思い描いている未来

最後に藤山さんに今後成し遂げたいことについてお聞きしました。

藤山:今は難民研究で成果を上げたいなという想いがすごくあります。


難民と聞くと受け入れ国との間での事件が発生したのような負のニュースしか聞かないことにすごく疑問を感じていて、そうではない難民と受け入れ国の関係もきっとあると思うんです。


そういった埋もれている難民と受け入れ国の間の関係を明らかにしたいですね。


またゆくゆくはですが、そういった知見をもとに、日本の難民支援や外国人の政策などにも貢献出来たらなと思っています。

国際協力とは無縁の生活を送ってきたところから小学生時代に偶然そこに出会って活動を始め今に至る藤山さん。
すでに国際協力に興味を持ってから10年以上の月日が立ちます。
10年もの間、一つの事柄に向き合ってきたなんてよっぽど良い出会いだったのかもしれません。
しかしただそれだけでは彼女のことを言い表すことはできないでしょう。
たとえ頑張りたいことだったとしても困難や逆境は何度も降ってくる。
その中で、それを一つ一つ乗り越えていくことができる強さを備えた彼女だからこそ、今も真摯に活動を続けられているのかもしれません。


-ARTICLE

Copyright© STORY Walker , 2019 All Rights Reserved Powered by STINGER.