無名学生指揮者、オーケストラ立ち上げの夢を目指して - 米本明

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今回は、「知名度」「人気」がものを言うオーケストラ、指揮の世界で、無名の学生指揮者として楽団を立ち上げた米本明君にお話を伺いました。しかもそれは前例のないことだったそうです。

構想から1年半、地道な努力を続けて立ち上げに至った米本君。

立ち上げの背景や、努力を続けられた原動力をお聞きする中で見えてきたのは、自分の目標、理想を実現したいという強い想いでした。

無名の学生指揮者の旗揚げ


米本:米本です、よろしくお願いします。


学生を中心としたオーケストラを0から立ち上げ、指揮を振っています。


トラオムは「ホールという空間を“夢”で包み込む」を理念に活動しているオーケストラで、立ち上げ時期は2年の冬なので現時点で活動期間は約1年半、在籍人数80名以上です。


ちょうど先日、新たな試みを取り入れた公演を終えたところです。無名の学生指揮者が新たにオーケストラを立ち上げるのは本当にレアケースなんです。


学生を中心としたオーケストラには2種類あって、一つは大学名を冠したオーケストラ、もう一つは大学という垣根を超えて有志が集まってできたオーケストラで、僕らはその後者です。


有志でオーケストラを立ち上げる際、有名な指揮者に指揮を振ってもらいたい、もしくは大学のオーケストラではできないような楽曲に取り組みたいという場合がほとんどなんですけど、僕は学生かつ指揮者として無名。


なので、側から見ればどこの馬の骨ともわからないやつが声を上げているような状態で、立ち上げにはかなり苦労しました。


立ち上げのことはまた後程話します!


小4から指揮を振るようになり、中学高校とがっつりオーケストラに属しているんですけど、今の僕の価値観は中高での経験がベースになっているんです。


僕の高校は地元愛知では有名なんですけど、練習がめちゃくちゃ自由なんです。


強制されるようなことは全くないし、細かいルールも全然ない、自分たちで考えて練習を作っていける環境でした。


その背景には、「練習が成り立たないのは主催している上級生の責任である」という価値観が元々あったからで、上級生は参加したメンバー、後輩が最大限満足できるような練習を作ることを常に考えていました。


そして、みんなで目指すべき姿もありその実現に向けて頑張っていました。


僕らの代は設立30周年という節目の年を迎えて、記念にヨーロッパを遠征を行った次の年でした


新たに迎える31年目ということで、NewGenerationというテーマが自然と与えられたんです。


Generationという単語には実は30年という意味があるらしく、英語の先生だった顧問がずっと言い続けていました。


これが組織全体に浸透していたので、今考えるとこれって組織としての理念だったなと。


僕らにとってはすごく重要なことでしたね。


みんなで新たな歴史を作ろうと団結して頑張れたのはこれがあったおかげだと思います。


観客も演奏者も熱狂するようなオーケストラを

米本:複数の理由が重なって設立を決めたんですけど、メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」という作品をオーケストラで演奏したかったということが表向きの理由です。


表向きとはいえ、本当に演奏したかったんすよ(笑) この「夏の夜の夢」という作品は「劇付随音楽」と言ってオーケストラのに劇が付随している作品で、かなり大掛かりなものになるんです。


なので、大学のオーケストラで演奏されることはほとんどなくて、これを演奏しようと思ったら、自分で立ち上げるしかなかったんです。

元々は同志社大学のオーケストラに所属していました。


先ほど表向きの理由とお話ししましたが、僕が目指しているオーケストラをここでは実現できないと感じたことは、自分で立ち上げようと考えた大きな理由の一つです。


僕は「観客も演奏者も熱狂するような空気感を作りたい」と強く思っているんですが、それができなかったんです。


原因はいくつもあるんですが、特に総勢100名を超えるの大規模なオーケストラなんですけど、組織として目指すべき目標、理念が共有されていないことにすごく問題意識がありました。


それがないことで組織内部の問題が解決されず、結束しているように見えながら、潜在的な問題が多く存在していました。


どういうことかというと、ただでさえ大勢のメンバーが活動していますし、それぞれ奏でたい音楽が異なったりもするので、いろんなところで意見の食い違い、衝突も当然発生する、そういう問題を解決する際に、組織として目指すべき方向に向かうための手段を考えることが真っ当な解決方法だと思うんです。


実際高校時代はそのようにして団の問題を解決していました。

でも、大学では演奏会を成功させたいという漠然とした目標はあったものの、この楽団にとっての成功とはどういうことかが定まっていなかったがゆえに、問題が発生しても建設的な議論が全くなされず闇に葬り去られてしまっていたんですよ。


なので、後々陰で悪口を言ってるメンバーがいたりとか、そんなことが発生していました。


それから、僕は自由に挑戦していきたいと思っていたんですけど、新しいことに挑戦しにくい環境だったんですよね。もちろん新しいことをするのって難しいですし、コストもかかる。


でも成功の定義がはっきりしていると、それに向かってみんなで頑張ろうとすることができるじゃないですか、その中で新しいことも生まれてくると思うんですよね。


でも、目指すべきところが定まっていないので、新しいことに取り組もうとしても、どうしてもかかるコストの方に目が向いてしまうような状態でした面白みを感じられなくて。


なので、ちゃんと目指すべきところを定めて、新しいことに取り組んでいける楽団を作ろうとも思ったんです。


もちろん、プロの指揮者に指揮を振ってもらえるなど悪いことばかりではなかったんですけど、僕は自分で指揮を振りたいとも思っていたので離れることに決めました。

指揮を始めた理由は、とにかく目立ちたかったからと話す米本君。その思いは少しずつ変化し、今のあり方に繋がっていったといいます。

最初はただただ目立ちたかった

米本:指揮を始めた理由は、ただ目立ちたかったからでした(笑) 元々バイオリンを習っていたり、祖父の趣味が音楽だったので、音楽に触れる機会が多かったんですけど、指揮者って大勢のオーケストラを中心となってまとめる役割なので、目立ちたがり屋だった僕は、そういう人の中心にいられることに惹かれていたんだと思います。


でも、小学4年生の時に初めて見に行ったオーケストラで、本当に熱狂するくらい感動して、その時の指揮者がとにかく格好良かったんです。


何が格好良かったのかうまく言葉にはできないんですけどとにかく格好良くて。


自分もそんなふうに、聴く人を熱狂させられるような熱い指揮者になりたいとぼやっと思っていました。


まだまだ自分が目立ちたいの方が強かったんですけど(笑)


その後、指揮の先生からの教え、それにより成功体験を得たことで変化していきました。


僕の指揮の先生は「指揮者はホールにいる全員に感動してもらうために存在しているもの。


一緒に演奏するメンバーもそうだし、お客さんもそうだしみんなの心を揺さぶるのが指揮者の役割なんだよ。」とずっと言ってたんです。


最初はあまり腑に落ちなくて、そうなのかと思いながら先生の言うように練習をして初めての本番を迎えたとき、そこでこれまでとは違う、得たことのない拍手を得たんですよね。


みんなが熱狂しているのを感じて、なんかすげえなと思いました。


それまでもバイオリンの発表会に参加したことが数回あったんですけど、完全に視点が自分に向いていて、自分がうまく演奏したい、自分がうまく演奏しているのを見てほしいということばかり考えていました。


だから、ミスしないように弾いて、うまく弾けたかどうか、ミスしなかったかどうかばかり意識してましたね。


も初めて指揮を振ったその演奏会は、自分のミスとか演奏者の些細なミスとかは全然気にならなくて、お客さんが熱狂している、それを生み出せたことにただただ感動と喜びを感じていました。


人の心を震わせるってこんなにもいいことなんだって気付きましたね。


自分がうまく弾くことばかりを考えていた時よりも、ずっと幸せに感じたんです。


その状態は僕がかつて初めて触れて熱狂した初めて見たオーケストラと重なって見えたりもして。


そこからですね、お客さんの満足、演奏者の満足を考えて指揮を振るようになったのは。


自分が熱狂し、他者を熱狂させられた経験があるから。


今の僕にとって演奏会の成功の定義は自分が味わった熱狂を届けられるかなんですよ。


当時10歳だった米本が目の前にいたら熱狂している演奏ができたかどうかが、毎回の演奏で指揮を振る基準になっています。


自分の目指すオーケストラの実現に向けて邁進する米本君ですが、無名の学生指揮者が一つのオーケストラを立ち上げるまでにはいくつもの困難がありました。

不安を抱えながらの道のり

米本:立ち上げは本当に大変でしたね。


冒頭にもお話ししたように、指揮者が良いか曲が良いかがオーケストラに加入したり、新たに立ち上げたりする理由なんですが、特に指揮者は重要なんですよね。


それなのに、無名で学生で、学生の中でも芸大でも音大でもない僕が立ち上げるオーケストラなので、一緒に演奏をしたいと思ってくれる演奏者はまずいないところからスタートしました。


しかも、地元のつてを頼って愛知で立ち上げることにしたので、京都にいた僕は頻繁に直接出向くわけにもいかず、友人の人脈を頼ってお願いをし続けるしかできなかったので、協力してくれた仲間にはすごく負担をかけました。


それから、人が揃わないうちから練習を開始せざるを得なかったんですよ。


演奏会の日程は決まっていたので、演奏者が集まりきってからの練習では確実に間に合わなかったんです。


なので、ある時は5人とか10人とか、成り立たないような人数で練習をするときもありました。


んなときは、その状況を嘆くのではなく、その場にいる人を満足させる練習をして、「ここはいい楽団だよ!」ってアピールして前に進めることを心がけました。


でも、僕はプロではないので、指揮者からの一方的なコミュニケーションではなく、練習に来てくれた演奏者の方々が奏でたい音楽を引き出す、それを生かすことを練習では心がけ、とにかく対話を重ねましたね。


そうして、来てくれたたった10人にいかに満足してもらうかを考え続けながら練習を重ねていると、「あのオケ面白いね」という評判ができ、少しずつ団員数をが増えていきました。


構想から立ち上げまで1年半、オーケストラとして成り立つのか、演奏会を実施できるのかという不安を抱えながらだったんですが、なんとか当日をむかえることができ、結果演奏会は大盛況でした。


それが「夏の夜の夢」だったんです。お客さんにとってもこれまで見たことがない演奏会だったし、演奏者にとっても経験したことのない演奏会でした。


不安を抱えながらも、一年半も地道な努力を続けて成し得た成功の背景には、どのような原動力があったのでしょうか。

ホールという空間を"夢"で包み込む

米本:原動力になったのはやっぱり「観客も演奏者も熱狂するような空気感を作りたい」という想いですね。


過去、自分自身が初めて見たオーケストラに熱狂して、初めて指揮を振ったときに熱狂しているお客さんの姿を見て、あの熱狂をもう一度味わいたいし、届けたい、実際にそれができると信じてやってきました。


トラオムの理念である、「ホールという空間を“夢”で包み込む」は初めての演奏会の後にできたものなんですけど、その想いを強く込めているもので、この“夢”って「夏の夜の夢」の夢からとったんです。あの演奏会は実際にその想いを実現できたものだったので。


実は、当初の僕の予定では、あの演奏会一度限りのつもりだったんですよ笑。


でも、演奏会を終えた後も、僕の想いに共感してもう一度一緒にやりたいと言ってくれた仲間がいて、また演奏会を開いてほしいと言ってくださったお客さんがいたので、みんなの想いによって活動を継続することを決めました。


今では、みんなの熱に負けないようにしないとなと僕が感じているほどです。


最後にこの先、指揮者として、楽団としてどこを目指していくのかを伺ってみました。

本 : 実は今、指揮者としてはスランプに陥ってるんです笑。


みんなの熱意に答えるために僕もスキルアップをする必要があると思い、本格的に指揮の振り方を勉強しているんですけど、自分が表現したいことと、手法をうまく噛み合わせることができず、自分らしく振れなくなってしまって。


以前は全身で表現をしていたのが、手法通り楽譜通りの綺麗な振り方になっていて、僕が悩んでいることとか心から楽しめていないことがメンバーにも伝わっているんですよね。


今、このスランプを乗り越えて手法は取り入れながらも自分らしい指揮を取り戻すことが僕の最大の壁だと思っています。


楽団は今後、僕を含めメンバーの多くが社会人になるんですが、必要だと言ってくれる人がいる限りは続けるつもりです。


理念はブラすことなく、その実現のために新しいことにも挑戦し続け、より多くの方を、それこそクラシックを普段全く聴かないような人も熱狂させられるよう前進していきたいと思っています。



自分の夢、目標を実現するためにそれまでの環境を飛び出し、試行錯誤を繰り返してきた米本君。
0からの道のりは決して平坦ではなかったはず。
それでも彼は自分の夢を一心に見据え続けました。挫けそうなときこそ、目標を思い返して、ひたすらにそれだけを握りしめてみる、それは間違いなく力になるはずです。
ちょっとまだ勇気が出ない人は米本君のオーケストラに足を運んで見てはどうでしょう。“夢”に包まれ震える心に気が付けるかもしれません。


10月中は3日に1本の頻度で記事投稿していきます。

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