環境と文化によってこぼれ落ちた挑戦者に、頑張るきっかけとなる環境を与えたい-林田昂大

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今回は自身の経験から、まちづくりや教育の分野で団体を立ち上げ、活動している林田さんにお話を伺いました。その活動のきっかけとなったのは大学で地元熊本から関西にきた時に感じた「いい意味でのギャップ」だったといいます。



関西に来て感じたギャップに対して一つ一つ行動してきた林田さんの物語をご覧ください。

今打ち込んでいる事

林田:林田昂大です。今やっている事はヨリアイというまちづくりに興味がある学生のコミュニティを創設し経営ていたり、関西AXISという関西での挑戦の入り口となるコミュニティを創設し経営しています。



少し詳細を話すと、2040年までにこの国の半分のまちが消えるといわれています。その現状に対してヨリアイという団体ではまちづくりを大衆化するという目的を持ち活動しています。今はまちって1%位の人しか積極的に関わっていないんです。たとえ、まちづくりや地方創生においての先進的な地域でも、実際にまちづくりに関わっている人は同じく1%くらいなんです。



ただ、その割合があがって積極的にまちに関わっていく人が増えれば、まちの状況は大きく変わるんじゃないかと考えていて、まちの作り手を作ることを目指して活動しています。

もっと自分のありのままでいたいと感じていた幼少期

現在、自分の課題意識からヨリアイという活動を立ち上げた林田さん。始めたきっかけは大学で地元熊本から関西にやってきた時に感じたギャップだったといいます。

林田:僕の生い立ちから話していくと、出身は熊本なんです。バスもなくて、車がないとどうしようもないような超ド田舎で、同級生も14人、母校も閉校してしまうような地域でした。田舎自体はすごく好きなんですけど、地方特有の同調圧力のようなものに苦しんでいた記憶があります。



当時、地元では僕はかなり頭がいい方だったんですが、僕の地元ほど田舎だと、進学校もなければ学習塾もあまりないので、勉強ができることを異質な存在として見られていたんです。だから中学までは、いつも周りから畏怖の目で見られていて、浮いているような感覚がありました。



本当は勉強や社会のことについても話したかったのですが、ただ周りに合わせて、日々を送っていましたね。友だちと呼ばれるような人と遊んでいても、どこか馴染めていない自分がいました。自分がそこにいていいのか、今思うと常に怯えて生きていました。



高校からはそういう現状が嫌だなと思い、オープンスクールに参加して、自由な風土とレベルの合う人がたくさんいた熊本市内の高校に行くことを決めました。自分の中学校からその高校に行く人はほとんどおらず、3年に一度行くか行かないかのような状態でしたが、当時の状況から強く変わりたいと思いました。



そこから自分で通う塾も決め、幸運なことに親の金銭的労力的な支援もあったので、自分で通う塾を決めて頑張ることができてなんとか、合格をつかみ取れました。

周りの目ではなく作りたい価値に目を向けていく

林田:その高校に入学してからは、レベルのあった友達や人のいい友達に恵まれたので、日々充実してこの高校を選んでよかったと感じていました。当時アナウンサーになりたいという想いがあったこともあって放送部に入部しました。



うちの高校の放送部は少し変わっていて、かなり学校内の行事を引っ張るような部活でした。例えば、体育祭とか文化祭とかも放送部のアナウンス進行で進みますし、体育祭委員とか文化祭委員もいるんですが、事前準備の時点では行事の運営メンバーを動かしていくこともありました。



今思うと、この日々に、誰かのために何かの価値を作っていく楽しさを知ったのだと思います。僕らの中では仕事と呼んでいて、塾の先生には「ブラックな無賃バイト」って冗談半分で言われていたくらいでした。(笑)でも、そんな日々に生きがいを感じていました。



そこから大学を目指したんですが、高校受験で自分に合う環境を選べたことで、充実した生活を送ることできたという成功体験があったので、自分ができる努力の最大限必要な場所、かつ自分の空気の合う場所に行けば楽しくやっていけると思っていました。そのため、自由な校風で面白い人も多い、京都大学を目指していました。



ただ受験には残念ながら落ちてしまいました。後期で大学には合格したので、浪人するか進学するかすごく悩んだんですけど、高校の先生から「浪人するという選択肢も一つあるけれど、林田はいろいろやってみたいことがあるから、この一年は浪人の一年に使うよりも大学の一年に使った方がいい」といっていただいて、後期で合格した大学に進学しました。



浪人してまで行くはずだった京大生活ではない生活を選んだという意識があったので、この大学生活を正解にしたいという想いを強く持つようになりました。

大学入学後、自分の天井を引き上げられた

林田:結果として入学当初からやりたいと思う活動には積極的に参加していました。そこで強く感じていたのは、関西に来るとやりたいと思えるようなことに出会い、実際にそれを実行できる場所があったということです。これは熊本にいたころにはなかったことだなと強く衝撃を受けました。



またもう一つ、今の活動に向かうことにつながったことがあって、大学に入学して出会った友達の存在が大きかったです。自分と同じように都会の出身じゃないにも関わらず、高校時代から自分のやりたいことをやってきた友達に会って。別に都会じゃなくても、活動することができたんだなとその時に気づかされました。



その子と比較して、自分は高校時代何をやっていたんだろうとすごく衝撃を受けました。自分の高校時代はそれはそれで楽しかったですが、ここまでやれている人がいるなら、自分ももっとやれたなということを感じさせられました。



とはいえ、自分が高校時代に戻って活動できたのかというと、「そうではないな」という意識もありました。高校時代からたくさんの活動をしていた人には身近な誰かが「こういうのあるよ」とか「やってみるか」といったきっかけを与え挑戦を後押ししてくれる存在がいたんです。それを考えた時に自分もそんな環境があればできたかもしれないと思いました。



その時に思ったことが、人がどこにいようと、挑戦を後押しする環境や文化を作っていくということが必要だし、自分がそれをやってみたいということでした。


可能性が広がる瞬間に関わっていきたい

自分のふるさと熊本と関西との違いを感じたことをきっかけに、自分のやるべきこと、やりたいことが少しずつ見えてきた林田さん。そこから自分の興味・関心がある様々な活動に取り組んできたそうです。

林田:大学に入学して一番最初は海外インターンシップを運営する団体に所属していて、インターンに参加者の学びを最大化することを目的に活動していました。担当していた人が一個上の人で自分よりも全然優秀な方でした。懸命に向き合ってはいたのですが、僕がいてもいなくても変わらないような面談もあって、「林田くんないわ。」と言われることもありました。



それでも、その人のために時間を投じて、インターンの期間を最大化するためにどうすればいいか考え続けやり続けたら、最終的に「林田くんがいなかったらこの研修はなかった」と言ってもらうことができました。



他にも教育にイノベーションを起こす人材を育成することを目的に活動しているFEISという団体の代表も務めさせていただいていていました。教育分野に興味がある学生に年間の育成プログラムを開いていました。実際の活動では、自分たちはそこでの参加者の学びが最大になるように事前の準備を綿密に行っていました。



その自分たちの準備した場で、参加者が運営のサポートを借りながらぐっと伸びていく瞬間があるんです。そういう人の可能性が広がる瞬間に立ち会った時に自分自身が生きているな~という感覚をすごく持てて、自分が生きる意味はここにあるなと強く思いました。

困難にも立ち向かっていく原動力

一年生のころ所属していた団体では参加者の方に対して実力が足りず厳しい指摘をされて、二年生の時には、FEISという団体で顧問から鋭いフィードバックを受け、しんどい時期もあったといいます。


その中でも林田さんが頑張る原動力は何なんでしょうか。

林田:二つあります。一つは自分自身がコンフォートゾーンを超えている感覚が好きだということ。もう一つは環境や文化によって自分の力を発揮できていない子を掬いあげたいという想いですね。



一つ目から説明すると、そのままなんですけど何か新しいことにチャレンジしていくことが好きなんです。中学の時に、職場体験で熊本の放送局に行かせていただいたことがあったんです。その時に自分の中で大スターだったアナウンサーの方に「今いる環境の外に飛び出て見ることで見える世界は全然変わる」という言葉をいただきました。



それまでは田舎の小さな中学校の中で周りの目を気にしながら生きていたところがあったので、今いる環境がすべてではないと言っていただけたことは大きかったです。そこから今まで以上に自分の世界を広げ挑戦するようになりました。結果うまくいかないことも多いんですけど、そのしんどい時こそ今いる環境の外に出れている時だと思ってるんです。



二つ目は挑戦したいが環境や文化によって力を発揮できていない人を掬い上げたいという想いです。僕自身が中学生の時に環境によってしんどい思いをしました。部活で怪我をしたことをきっかけに、体の不調からどんどん精神面も不調になっていきました。もともと周りとも合っている感覚がなくて、本当の自分を生きている感覚はありませんでした。家のベットから漏れ出る光を見て、死にたいとまで思ったこともあるほど苦しかったんです。



そういう環境によって自分の力を発揮できていない人たちに自分が介在することで、頑張るきっかけに出会えればいいなと思っています。

想いと覚悟をもって一つ一つ活動を進めていく

新しいことにどんどん挑戦し、今は覚悟をもって自分の課題意識を持っている事に取り組んでいる林田さん。


現在行っている活動について教えていただきました。

林田:現在行っている活動としては冒頭で少しお話した、ヨリアイという団体と関西ビジネス企画サークルAXISという団体を運営しています。



ヨリアイではまちづくりを大衆化することを目指し、作り手を増やすことをビジョンとしています。作り手というのは自分の人生を、自分事化して、自分でこれをやると決めて、作っているような人たちのことです。周りから受け取るものじゃなく、与えることで幸せを作ることを大切にしていて、自分がどんな価値を作って誰に届けることが幸せなのかということを考えて生きている人のことを言います。



具体的にビジョン達成に向けて取り組んでいることは3つあって、一つが地方高校生向けの教育サービス、二つめが地方に興味のある関西の大学生を集めるコミュニティー作り、三つめは地方と関西を繋ぐコーディネート事業を行っています。



1つ目の地方高校生向けの教育サービスは、地方高校生や関西の高校生を集めて、合宿型のキャリアプログラムの実施とそこからオンラインでの定期支援をしています。



このサービスは僕自身の熊本にいた時の経験から作ったサービスで地方にいて何かを始めるきっかけがない高校生が少しでも自分のことを考えて、何かを始めたいと思えば始められるような環境を作りたいという想いで行っています。



2つ目の場所コミュニティー事業は、地方に興味がある関西の学生が集まれる場をイベントという形で作っています。これまでの総参加者は200人を超え、40人くらいヨリアイのファンが生まれてきています。参加者側だった子たちが、徐々に自分のやりたいことをブラッシュアップして、企画を考えたり、それに携わったりする場を提供することで、参加者側から作り手に変わっていくような仕組みを作っていっています。



3つ目のコーディネート事業というのは、岡山県西粟倉村と宮崎県日南市という地方創生の文脈で有名なまちがあるのですが、まちの協力を得たり委託を受けてツアーやイベントを実施しています。関西の大学生がローカル(地方)にかかわるきっかけを提供して、ローカルキャリアを選ぶという文化を作ることを目指しています。


林田:運営している2つ目の関西AXISは個人がやってみたいと思ったことを、企画にして実行できるような団体です。



例えば今ある企画でいうと、社会人劇団の経営を何とかしたいと経営戦略を立てている女の子がいたりとか、服のリサイクル事業をする団体を立ち上げている子がいたりします。



関西にも他に学生団体はあるんですが、多くはやることがすでに決まっているんです。それもすごくいいと思うんですが、関西AXISでは自分自身のやってみたいの仮説検証をすることで、自分を知り作りたい価値を作れるようになることがいいと考えていて、やってみたいと思ったことを実行できる場所を提供しています。



企画を実行していくだけでなく、自己理解を深めることも団体内でやっていて、1回生ながら自分のビジョンはこれで、今こういうことをやっていますと語ることができる子たちを育てているような団体です。



たくさんのことに、今は携わっているんですが、根底にあるのは教育を通じて一人一人の、幸せを促進したいという想いです。もちろん一人一人によって幸せの形は違うと思います。ただ環境や文化によって自分の幸せの形がわからなくなっているような人を掬いあげたい。



そのためには、一人一人が自分のやりたいことに向かって挑戦できる文化と環境が重要だと思っています。



だからこそ、関わっている団体ではその場所が挑戦したい人の一歩目になるようにしたいという想いを大切にしていて、失敗しても許容するという温かい空気自分の意思に従い、挑戦してみたいことに全力で向かっていける空気を大切にしています。

今まで様々な活動を通して1000人以上の人の教育に関わってきた林田さん。一つ一つの活動の先にはいつも人がいるとおっしゃられていたことが印象的でした。


「一人だけだと勇気が出ない」「頑張りきれない」そんな人は林田さんのような、挑戦を後押ししつつ、失敗を許容してくれる環境を見つけてみるのはいかがでしょうか。

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