「夢」に突き動かされ、その力を信じた元サッカー少年の挑戦-ホン・テヨン

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「諦めなければ夢は叶う」言い古された言葉だ。


誰もが幼少期から言われてきた言葉。でも、大人になった今もこの言葉を信じられてるという人はあまりいないのではないでしょうか今回取材したのはこの言葉を握りしめて走り続けてきたホン・テヨンさんです。


私たちにもう一度諦めずに頑張るきっかけを与えてくれる物語です。

これまで打ち込んできたこと

ホン:初めましてホン・テヨンです、よろしくお願いします。小学二年生から高校三年生までプロを目指して、本気でサッカーに打ち込みました。


ただ高3の時に怪我をしてしまい、サッカー選手の夢は閉ざされてしまいました。大学に入学してからはなかなか打ち込むことがなくて腐っていたんですけど、その自分はダサいなと思ってサッカー以外で成功しようと決意し、再スタートを切りました。


そこからはアメリカと中国に半年ずつ留学したり、日本に帰ってきてからはアプリの開発に注力をしていました。詳しい話は後ほどしますね。

本気でプロを目指して、サッカーに励んでいたテヨンさん、高校では全国制覇の経験もある名門の滝川第二高校に通っていたそうです。


それほどまでにサッカーに夢中になる中でたくさんの試練もあったといいます。

ホン:サッカーは小学生のときにはじめたんです。中学校まで朝鮮学校に通ってたんですが、そこでみんなでサッカーしていました。



だから気付いたらサッカーがめちゃ大好きになっていたという感じで、W杯に出るのがずっと夢でした。小学生時代は、毎日のようにW杯に出場してプレーしてる姿を思い浮かべながら寝ていました(笑)



毎日サッカー漬けの生活で、親が仕事から帰ってくるまで外でボール蹴っている日々でした。



そのくらい純粋にサッカー選手になりたいと思っていたので、サッカー推薦で強豪校の滝川第二高校に進学することにしました。ただ僕らが入学する1年前に全国優勝していたので、翌年のセレクションのレベルが本当に半端じゃなく高いレベルになっていて、全国からめちゃくちゃうまい人が集まっていました。



だから、僕なんて入学したとき下から数えて一桁の位置にいて、圧倒的にド下手でした(笑)


練習試合のときは、うまい選手から順に試合に出ていくんですが、ずっと1番下の方だったので、うまい選手の試合が終わるのを4時間待ってやっと出番が回ってくる、そんな状態が1年くらい続いたんです。ただその状況でも絶対結果出したろう、という気持ちは持っていて、めっちゃ意気込んで試合にでていました。



でも、ずっと下のチームで、それが悔しくて。毎日走り込みをしまくって、下の方にあるボールも、全部頭でゴールに突っ込んだろと思って、頭蹴られようが、泥臭くボールに向かっていってました。結果最終的にスタメンを取ることができたんです。

ホン:そういう環境だったので、プロになった子も周りにはたくさんいます。やっぱりそういう子らってめちゃくちゃうまかったんです。でも、魂だけは絶対に誰にも負けへんと思ってずっとやっていました。



結果、高校は全国まで出場したんですけど、僕は全国の前の県大会の準々決勝までしか出れませんでした。冒頭で話したように、怪我をしてしまって。それでも、プレーを続けていたので、そのときはもう本当にに左足がボロボロになっていました。



皮膚も筋肉も剥がれて感覚もないような状態で、痛み止めの薬と注射を毎日打って、その副作用で胃がボロボロになるから胃薬も大量に飲んでいました。足は全く動かないのでテーピングでガチガチに固定してプレーし続けていました。



その状態で準々決勝までは試合に出たんですが、流石に限界がきて、本当に嫌だったんですが、泣く泣く手術をして、それ以降の試合は出られませんでした。

苦しい中でもがき続ける原動力

劣位な環境の中でも魂ではだれにも負けないともがき続けてスタメンを勝ち取ったテヨンさん。


技術力不足や怪我など苦しい中でももがき続けた原動力は夢だったといいます。

ホン:少しお話ししたように、僕、中学まで朝鮮学校にいたんです。普通は高校も朝鮮の高校に行くんですけど、サッカー推薦で日本の学校に行くことにしました。



もちろん、その前に学校の先生や友達にはキツすぎるからやめとけとめちゃくちゃ止められました。でも、サッカー選手になることが夢だったので絶対に成功してやるって、周りの人たちの思いを全部断ち切って、覚悟を決めていました。



だから、もし全国大会に出られなかったとき「ほら、あいつ言った通りやん」って言われるのもめちゃくちゃ嫌でした。だから朝から晩までサッカーに捧げて、吐いてもなんでも無限に走りまくりましたし、命が消える以外はどんだけきつくても無限に頑張ると思ってたやっていたので、怪我したから辞めるなんていう選択肢はなかったんです。

テヨンさんは「サッカー選手になる」という夢を握りしめて努力し続けてきました。


その夢の先に思い描いていたのは社会的弱者やマイノリティーの方に夢を与えられるひとになりたいという想いがあったそうです。

ホン:昔ほどひどくはないんですが、朝鮮学校ではやっぱり差別とかもあって、心無い言葉を言われたりしたこともありました。そういう経験が今の自分の価値観につながっているんです。自分がそういう環境を経験しているからこそ、社会的弱者やマイノリティーの方に夢を与えたいってずっと思っています。



サッカー選手になるというのも、その想いが背景にあって、僕が頑張って夢叶えて、みんなに憧れられるような存在になったら、それを見てみんなが夢掲げて頑張れるんじゃないかって思って。そういう存在になりたくて無心で頑張っていました。



夢がかなわないとは全く思っていませんでした。アン・ヨンハさんっていう同じ在日のプロのサッカー選手がいるんですが、彼がずっと「夢は叶う」ということをおっしゃられていて、すごくシンプルな言葉だけどそうやって言い続けて本当に夢を叶えたアン・ヨンハさんのことをめちゃくちゃ尊敬しています。



だから僕も夢は叶うって言い続けて、レガースの裏にも書いていました。夢は叶うという想いと、絶対に叶えるんやっていう信念の強さは誰にも負けへんと思っていました。ただそのときの無理がたたって今はちゃんと歩けない足になってしまったんですけど(笑)

全力で夢に向かった来たテヨンさん。全力で向かってきたからこそ怪我をした後には前を向けない時期もあったといいます。

ホン:怪我をしてから、しばらくはなんのために生きてるのか見出せなくて、もう自暴自棄になったんです。大学は、もともとスポーツ推薦で入学することが決まっていたんですが、サッカーができなくなったので、当然推薦は取り消しになって、「人生詰んだな」という気持ちがさらに強くなりました。



大学に行っても希望を見出せると思えなかったので、本当にどこでもいいかと思って、朝鮮語をこれまでやってきたし、英語が話せたらいいかなくらいで関西外大に決めました。



大学に入った当初はいうのが恥ずかしいくらいに日々遊びまくっていましたね。ただどこか自分のことをあきらめきれない自分もいました。

毎日のようにサッカーを頑張っていたころの動画を見て、過去の栄光にすがりついているような日々を送っていました。



その時にたまたま、スティーブ・ジョブズのスピーチを聞いたんです。有名なスタンフォード大学卒業式でのスピーチです。高校のときも意味はわかってなかったんですが、試合前に格好つけて聞いていました。それをふと思い出して聞いてみたんです。



初めてちゃんと聞いたんですが、その内容がそのときの自分には本当に刺さって「もう一回自分が夢中になれることがサッカー以外にもあるかもしれないし、一喜一憂して、涙が出るくらい嬉しかったり悲しかったりすることないのかな」と思って、何かしてみようって思うようになりました。



そこから考えて、サッカー選手になりたいという夢は終わってしまったけど、その夢は本質的には周りからあこがれる存在になって夢を与えたいという想いだと思ったんです。



そして、その想いを成し遂げることはサッカーでなくても他の形でどうにかなると思い立って再スタートを切りました。

頑張り始めた留学時代

ホン:2年生からは大学のカリキュラムで留学に行くことになっていたので、アメリカに半年、中国に1年半留学に行きました。そこで頑張るスイッチはばっちり入りました。



アメリカに行ってからは語学の勉強が中心でしたが、たまたまクラス分けテストの点数がめっちゃ良くて、実力よりかなり上のレベルのクラスに入りました。全員英語がペラペラで、先生も普通にしゃべる中で1単語も聞き取れませんでした。



半泣きでクラス替えの申請に行ったんですが、そこでもなんて言ったらいいかわからなかったので、もうクラス替えせずに、授業料のもとを一番取ってやろうと思って怒涛の英語勉強を始めました(笑) 授業を録音して家に帰って勉強しまくって、空いてる時間はずっとスティーブジョブズとか孫正義の気持ちになってスピーチをしていました。



当時は30単語くらいで5時間位スピーチしていましたね(笑) でも地道に努力を積み重ねていたことで帰るころには誰よりも英語を話せるようになっていました。

ホン:その後中国に行くんですが、その前にすごくいい出会いがありました。アメリカから帰って、東京でたまたまバーで飲んでいたときに知り合った方がいて、その人がハードウェアスタートアップ支援サービスを運営する企業でアクセラレータープログラムやミートアップ等を実施されている方でした。



偶然の出会いからたまたま連絡先を交換したんです。それで中国に留学しているときに、その会社の支店が中国にもあったことを思い出して、これはチャンスだということで、中国の深圳でアポを取り、会っていただけることになりました。



そして、友達と考えていたアプリの計画書を作成して、2時間位プレゼンをしたんですが、ぼこぼこにフィードバックをもらいました。ただ、そのパッションを気に入っていただけて、その会社の大阪と東京の支店のリーダーにならないかと誘っていただけて、そこで働くことになりました。



その会社ではハードウェア系の投資をしていたのですが、ハードウェア系って初期費用が掛かるので資金調達をすることが難しくて、今まで日本では事例やノウハウが多くないんです。なので、シリコンバレーからゲストを呼んでイベントを開催したり、スタートアップを経営している人同士のミートアップを東京で開催したりしていました。



アポを取ったり、必要な手配をしたり、招待を送ったり、全部自分でやったんですが、僕は当時、日本語でさえメールを送ったこともないようなレベルだったので、本当に人は来てくれるだろうかとか、うまくいくのかとか考えすぎて血尿が出てしまうほどプレッシャーを感じていました(笑) ただ周りの同僚が全員外国人で、英語ネイティブの中で一緒に仕事をやれたという経験は大きな成功体験になって自信になりました。



深圳でアポを取ってプレゼンした時は、緊張しすぎて小籠包一つしか食べれないほどだったんですけど、行動してよかったですね。

アメリカ、中国で今まで経験したことのないことにたくさん挑戦して、乗り越えてきたテヨンさん。


誰もがあきらめてしまいそうな状況でも、あきらめずに立ち向かうことができたのは自分のあこがれの姿を実現する、と強く思い続けたからだといいます。

頑張る原動力

ホン:頑張る原動力はサッカーをしていたころと変わらず、周りの人に夢を与えられるような人になりたいという想いだったんですけど、その想いはより強くなっていました。それはソフトバンク社長の孫正義さんのスピーチに出会ったことが大きなきっかけだったと思います。



孫さんは僕と同じ在日韓国人で、ひどい仕打ちを受けた過去があるにも関わらず、そんなの関係なしに、事業家として成功して同じ人間だと証明してみせる、そしてもっと辛い状況下にある人に勇気をあげるんや、とスピーチで話していました。それを聞いて本当にぼろ泣きして、「自分も絶対にそうなるんや」って思ったんです



僕は在日韓国人として酷い扱いをうけたとかそういうのはなかったけど、でも今夢を持てない人に勇気を与えられるような存在になろうと思いました。そこからそれが僕の信念になっていたので、その気持ちを思い出して立ち向かい続けていました。

日本で自分のサービスを作ろうと
もがき続けた

ホン:その後、日本に戻ってきてフィットネス×ITで事業をしているスタートアップでインターンをすることにしました。そこで、自分が作りたいアプリの提案をして、その企業のCTOの方と一緒にアプリ開発をすることになりました。



そこからアプリ開発にのめり込んでいったんです。その時に提案したアプリは、カレンダーを面白くするというものでした。本当に素人アイデアなんですけど。



カレンダーって面白くないから見ないし、いちいち予定を追加するのもめんどくさく感じるんだという考えから、面白くしたらみんなもっと見るようになるし、予定を見逃さず、記入ももっと楽にできると思い、そのアプリを形にするために色々なイベントに参加して、デザインができる人や、マーケティングができる人を探し回って、トータル7人くらい集めました。



住んでいるところもばらばらだったので、毎日夜リモートで開発を進めたんですが、僕が優秀な彼らをまとめきれなくて、結局出来上がったのは思っていたものとは全く違うものでした。かれこれ半年以上取り組みましたが、納得のいく落とし所を見つけられずに撤退することになりました。



そのときは本当に、なんとしてでも成功してやる、その一心でしかなかったので毎日朝5時くらいまで作業をして、2日に一回睡眠時間が2時間とかそんな状態でした。



でも一緒にやっていたこたちも無理がたたって、栄養失調になってしまったりし、そのとき初めてものすごい責任を感じたんです。自分がしっかりしなかったら、おおげさでなく、一緒に頑張っているやつの生活とか命すら脅かすことになるんだと。


そういう経験をして「自分舐めていたな」と気づいたんです。そんな甘っちょろいもんじゃなかったと。でもその後も、なんとしてでも成功するんだという気持ちをどうしても捨てきれなくて、一緒に開発していたこのところに行って頭を下げてもう一度アプリを作り始めました。



そのときは、ボロボロの服で東京にあるVCを全部叩きまわりました。門前払いされてばかりでしたが、もうそんなことはどうでもいいやと思っていました(笑)



今思えばめちゃくちゃ迷惑なやつだったと思うんですが、誰か力を貸してくれる人を見つけたくてVCをまわりまくって、プレゼンしてFBでボコボコにされて半泣きになりながら引き返す、みたいなことを繰り返す毎日でした。

ホン:その甲斐もあってか、あるVCさんから融資はできるよという話をいただいたんです。協力してくれる人も探しまくって、技術的には開発できるだろうという算段はつきました。



あとは僕の意志次第の状態まできたんですが、そこで折れてしまいました。全然学んでないんですが、また何も考えずに突っ走った結果、やるぞというタイミングでやっと事業計画とかをガチで考えました。



するとどうやっても採算が合わないことがわかって、以前自分が向こう見ずに突っ走ったことで一緒にやるメンバーの生活を脅かしてしまったという経験もあったことで、そこで覚悟を決めることができませんでした。



このときのアイデアは「アイドルとテレビ電話ができる」というアプリだったんですけど、この着想の背景には、僕自身が憧れの人の存在によってこれまで大きな力をもらってきたので、多くの人たちがそういう人から力を得られる仕組みを作れたらいいなという想いがありました。



サービスの立ち上げには至らなかったものの、この話は少しだけ続きがあり、実はこのサービスを形にするにあたり、僕自身の憧れの人であるアン・ヨンハさんにどうしても会いたいということで、ありとあらゆるツテを辿り続けたんです。そうしたら最終的に横浜のホテルで会っていただき、僕の夢を彼に語る機会をいただきました。



それだけでも本当に光栄なことだったんですが、それ以降本当によくしてくださり、その後しばらく彼のマネージャーとして、イベントや雑誌の取材に同行するなどしました。本当に夢のような話ですが、憧れの人の背中を間近で見ることができ、より一層自分も夢を叶えたいという想いが強まりました。




VC:ベンチャーキャピタル(venture capital、略称:VC)とは、ハイリターンを狙ったアグレッシブな投資を行う投資会社(投資ファンド)のこと。(引用wikipedia)

たくさん挑戦をして来たからこそ多くの失敗も経験したテヨンさん。今後はどんな未来を見据えているのかお聞きしました。

テヨンさんが見据える未来とは

ホン:今までいろいろ経験してきて失敗する中で、自分はそんなに優秀ではないということは身にしみてわかりました。自分は今事業をしても勝算を生み出せないことを感じています。人脈という言葉は嫌いですけど人脈って大事だし、ファイナンスの知識もないと勝ち筋を描けないし、足りないものは多いです。



でもそんなできない自分だからこそ、頑張って成功することで他の人たちに夢や勇気を与えられると思うんです。諦めるつもりは全くない。



僕が頑張り続ける力になっているアンヨンハさんや孫正義さんのようになって、みんな同じ人間、誰でもできるということを証明したいと思っています。

「諦めなければ夢は叶う」使い古された言葉だ。


それでも、そう信じ続けられることが、どれほど難しいことか改めて感じた方は多いんじゃないでしょうか。当然、困難も挫折もその道にはあり、叶わずして夢破れた方もたくさん存在するでしょう。


しかし、一度夢破れてなお、幾度もの困難を乗り越えてきた彼の物語は、決して苦しさに溢れたものでなく、むしろ勇気に溢れて輝いて見えました。「周りの人に夢を与えられるような人になりたい」というテヨンさんの想いと共に、少しの勇気を届けられたらと思います。



今現在、困難にぶつかっている方、夢破れ打ちひしがれている方、あなたの物語は強く輝く可能性があると信じて。

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