身にまとった鎧を脱ぎ捨て自分らしさを手にした小さな努力の物語−堀居隆生

投稿日:

「周りのみんなから認められたい」誰しもが持つ感情の一つでしょう。でも、周囲の目や評価を気にするあまり、いつの間にか、自分の気持ちがわからなくなってしまうことはないでしょうか。

今回取材した堀居さんも、その一人でした。

そこから、どのような経験を経て自分を取り戻していったのか赤裸々にお話してくださいました。


これまで取り組んできたことと 今現在取り組んでいること

堀井:

広島大学総合科学部4年の堀居隆生です。今まで取り組んできたことは、中学校と高校ではずっとバスケをやっていました。大学に入ってからはたくさんのことに取り組んできました。



携帯販売の営業アルバイト、就活で短期のインターンに参加したり、事業を立てたりしていました。



今は、キャリア支援団体のencourageで学生のキャリア支援と、内定先の会社で早期入社をして、東京で働いています。

周りの目を気にするいい子でいた幼少期

堀井:

僕は、生まれは長崎県でした。そこから親が転勤族だったことこともあって、新たな環境に放り込まれることが多く、幼稚園の間は何度も引っ越しをしていました。



当時の僕を一言で表すと「周りの目を気にするいい子」だったんです。



いい子でいたのは、親から褒められることがすごく嬉しかったからでした。例えば、引っ越した先で挨拶に行くときに、母親からいい子でいてねと言われるので、そうしようと思って、初めて会う人の前でも泣かずに「堀居隆生です。5才です」と言うような子でした。それでよくできたねと言ってもらえるのが嬉しかったんです。



なので、そのころは、親からいい子だねって言われることを目標に過ごしていました。



それから小学校の1年生まで転勤が続きました。小学校に入ってからは、勉強も運動も何でもできたので、周囲の子から「できすぎくん」と呼ばれるようになりました。「できすぎくん」と言われることについても、当時はめっちゃ嬉しいと思っていました。



いい子だねと言われることがモチベーションにつながっていたので、できすぎくんって言われることは僕にとっての最大の誉め言葉だったんです。

たくさんの成功体験を積んだ小学校

堀井:

小学校4年生からバスケットボール部に入りました。全国大会出場経験もある小学校だったので、監督がすごく熱くて厳しい人でした。部員も20人ほどいて、練習環境としては、プレーがうまくいかないと監督から平手が飛んできたり、厳しい言葉が飛んできたりする感じでした。



さらに、監督の熱量が保護者にも伝わっていて、保護者からも厳しい言葉が飛んでくることもあったんです。褒められることがモチベーションだった僕にとっては地獄でした(笑) さらに、ほとんどのメンバーが小学校2年生、3年生からバスケットを始めていて、自分は始めたのが遅かったので、めっちゃへたくそだったんです。



厳しい環境でしんどかったですが、勉強や運動で今までできなかったことがなかったので、自分なら絶対にできるとずっと思っていました。だからどれだけ練習でできないことにさらされても、できるようになると信じて、家に帰ってからもひたすらシュートの練習をしていました。



それでできなかったことができるようになると、周りから褒められたのでそれが嬉しくて、ずっと家での練習は続けていました。結果、練習の甲斐もあってスタメンに選ばれたときは、本当に嬉しかったです。



あとは中学受験も経験しました。中学受験の勉強はめっちゃハードで、毎日のように22時とかまで勉強をしていました。そのときは、父と母が僕の志望していた学校の卒業生だったので、その学校に行くだろうと思いながら勉強していました。



バスケをしながら受験勉強もしてと頑張っていたので、受験に合格したときもすごく嬉しかったです。



小学生の間はたくさん成功体験を積み重ねて「自分なら何でもできる」と強く思っていたように思います(笑)

小学生時代、たくさんの成功体験を積んで自信を育んできた堀居さん。

しかし、中学入学後、大きな挫折を経験したといいます。

初めての挫折経験

堀井:中学校に入学してからは、小学生から挫折知らずだったこともあって、天狗の鼻が伸びて調子に乗っていました。



でも中学2年生のときに、僕が調子に乗っていることにだんだんと周囲が気づいてきて、「うぜー」「ナルシストだ」といじめを受け始めるようになりました。



指定カバンに接着剤をつけられて開かないとか、上から水がばしゃーんとかけられるとか、ドラマかと思うほどでした。



でも、これまで親からいい子として見られているという自負もあったので、誰にも相談をすることができませんでした。家では両親を悲しませないように、学校は楽しいと嘘の友達や出来事の報告をしていました。

転機となったお父さんの一言

堀井:

ある日、父とバスケの自主練習をして帰宅したときに、玄関で父にふと「どうや学校は?」って聞かれて。そして続けて、「まあ心配はしてないし、お前の人生だから自分の好きに生きていけよ」と言われたんです。



それを聞いたときに、自分が嘘をついていることとかいじめられていることとか全部ばれてると思ったんです。さらに、自分がこれまでしてきた嘘をつくという行動は、そんなふうに自分のことを想ってくれている両親を悲しませていると思いました。



それで、本当の友達を作ろうと決心して、どうしようと考えたのが新たに行動をするようになったきっかけです。作り話の友達じゃなくて、本当の友達の話をしたかったんです。



そこからはどうすれば人は自分の周りに集まるかと考えて、僕が転校を繰り返していたときのことを思い出しました。転校するともの珍しさにかもしれないですが、いつもたくさんの人が周りに集まってきていたことから、人と違うことをすると人は集まってきてくれるんじゃないかと考えました。



そこから人にはできなくて、自分にはできることを探し始めて、それを周りの人に対して還元していくようになりました。



例えば勉強だったらそれをわからない人に教えたりとか、漫画を友達に貸してあげたりとか、そういう些細な行動を一つ一つ積み重ねて、中学三年生くらいで修学旅行のペアーが見つかる程度には人間関係を持てるようになっていきました。そのとき、諦めなかった原動力は、友達がいる方が、僕も家族も幸せになるということと、今までずっとできてきた僕がなんでこんな目に合わなきゃいけないんだという怒りでした。



今まで、成功体験を重ねてきたぶん、自分はできる人だと思っていたので、そういう状況にいるできない自分が許せなかったんです。

幾度の困難に立ち向かった高校時代

堀井:

高校は中高一貫校だったのでそのまま進学したんですが、僕を見る目は中学時代からは少しずつ変わっていっていました。



何か頑張って目立ちたいという気持ちがあったので、絵画コンテストやスピーチコンテストなど幅広く頑張って入賞したこと、また高校入試を経て入学してくる生徒によって、新しい風が入ってくれたことが大きかったように思います。人気者というわけではなかったですが、クラスの端にいるというわけでもなく、という状態でした。



一方で、バスケットの方はずっと一生懸命練習に励んできたこともあって、成果を出すことができました。市の選抜に選ばれることができたんです。



ただここでも困難にぶつかりました。選抜に選ばれた矢先、精神的に負担を抱えすぎて体がうまく動かなくなってしまったんです。当時は、チームのキャプテンになったタイミングでもあり、高校の部活は顧問がいなかったので、キャプテンである僕が練習メニューを考え、ユニフォームを誰に渡すかも考えないといけなかったんです。



先ほども話したように中学時代は人間関係でも失敗していたので人の上に立つことに対してすごくプレッシャーを感じていたんだと思います。



そこから段々と、試合に出ても体が思うように動かなくなって何もできなくなりました。頭はめっちゃ動くんですけど、体が思った通りに動いていくれないんです。それでも無理やり試合に出ていたんですが、結果、そのせいで怪我もしてしまい肉体的にもプレーできなくなりました。



そのときはもうどうしようもない状況だったんですが、それでも僕のことを支えてくれていた仲間もいたので、自分はプレーできないけどそいつらのために頑張ろうと思い、裏方からサポートすることはできると切り替えて部活に向かうようになりました。練習メニューを本当に優れたものにできれば勝てるようになると考えて、メニューの作成に力を入れ、小学生時代の鬼コーチにもアドバイスをもらい行くなどとにかくがむしゃらに行動しました。



周りのメンバーからは「号令係とか」「置物キャプテン」とか揶揄されることもあったんですが、最後までやめずにやり抜きました。

キャプテンという重責を背負いプレッシャーから思うように体が動かなくなってしまった堀居さん。


精神的なプレッシャーを乗り越えるために自分の課題にも向き合っていたといいます。

信頼できる仲間との出会いが 周りを頼るきっかけになった

堀井:

体が思うように動かなくなる症状は基本的に精神的なことが原因となることが多いんです。

自分の場合はキャプテンになり、チームを何とかしなくてはいけないと背負いこみすぎたことが本質的に良くないところだったんだと思います。



当時はキャプテンでありながら、モップ掃除とかリング出しとかさえ全て自分でやっていたほど、背負いこんでいました。今の自分から変わるためには精神面をなんとかしないとと思い、カントリーセラピーとか森林浴とかアニマルセラピーとか、あらゆる手段を試しました。



結果症状は少しずつ改善されていったんです。でも、実はいろんなセラピーのおかげというよりも、信頼できる仲間がいると思えたことが大きかったと思います。



キャプテンになってからは、基本的に全てを一人で背負いこんでいたんですが、そういう僕に対して本気で踏み込んでくれた同級生がいました。当時、僕はチームをどうマネジメントしていいかわからない状態になっていて、あるとき後輩から「なぜこの練習するんですか」と質問された際に「とにかくやれ」と回答してしまったんです。



そのとき、ある同級生に「お前がチームを思ってちゃんとメニューを考えているのは知っている、それなのに何でそんな自分を追い込むまで自分一人だけでチームを背負おうとするんだと」と強く叱られたんです。彼にはボコボコにされたんですが、そのときから少しだけ人を信じて頼ってもいいかなと思えるようになっていきました。



そいつとは今でも、会う仲で本当に感謝しています。

社会で必要なスキルを得ようと奮闘する日々

堀井:

大学入学後、最初に始めたのは携帯販売のアルバイトでした。始めた理由は二つです。



一つは、社会人として必要なスキルを早く身に付けたいと思ったことです。その中で汎用性の高い営業スキルに目をつけ、学生のうちに営業経験を積んでおけば将来に役に立つだろうと考えました。



もう一つは家の教育方針として欲しいものとかやりたいことがあれば父、母、祖父母の承認を得なさいという教育方針でした。それで、例えばゲームが欲しいならなぜ欲しいかをプレゼンするということをずっとやっていたので、営業に目をつけたのはそういう自分の力がどれくらい社会で通用するのか試してみたいと思っていたからでした。



そのバイトは2年間続けたんですが、ずっと続けるモチベーションになったのは、数字として成果が見えるということでした。成果を出すことをかなり求められる環境だったので、成果を意識して活動する中で、少しずつできることが増え、成果が大きくなっていくことがうれしかったです。できる自分に近づけている感覚がありました。



その後も、できる自分に近づきたいと思い、広島大学起業部という団体に所属して、先輩が作っている様々な事業に携わるようになっていきました。

できる自分になることや自分に必要なスキルを得るためにたくさんの活動に取り組んできた堀居さんでしたが、あるきっかけで今までのモチベーションは自分にベクトルが向いていたと考えるようになったといいます。

頑張るモチベーションに起こった変化

堀井:

僕自身は、あまり志みたいなものはもって生きていなくて、ずっと目の前の物事にとりあえず熱中することに人生を使っていました。新しい経験が得られることや、スキルが身につくことが楽しかったんです。



でもそれは、周りの大学生に対して、お前らよりすごいんだぞとか思われたかったということも背景にはあったと思います。

こう思うようになった背景には二つの経験があります。一つは祖父の死、もう一つはバスケサークルで初めてチームで価値を出せたことでした。



僕の祖父は大工で、無骨で頑固な人だったので、葬式にはあまり人が来ないだろうなと思っていました。でもふたをあけると、すごく人が集まって葬式会場に人が入りきらないほどだったんです。



それにすごく驚きました。それだけの人が集まってきたのは祖父が残していたものが大きかったからだと思いました。実は、僕の家も祖父が建てたものなので、亡くなった後には祖父が残したものを見るんですね。



それを見たときに、人生で何を得るか考えて生きるよりも、何かを誰かのために残すことを考えて生きていることのほうが美しいと感じました。そして僕自身もそんな自分になりたいと思うようになりました。



二つ目は、大学で入ったバスケサークルで経験したことです。初めは、体が動かないからバスケはもうやめようと思っていたんですが、友達に誘われてサークルに体験に行ったときに、びっくりするくらい体が動いたんですよ。体が軽い、バスケすることが怖くないと思ってバスケができたんです。



それをきっかけにバスケサークルに入って、楽しむことを目的に活動をしていました。それで自分たちの学年の代になったときに30チームほどが参加する中四国の大きな大会があって、その中でベストチーム賞という賞をいただくことができたんです。



そのときに見栄とか背伸びをしていない自分で、楽しんだりワクワクしたりすることを評価してもらえることを知ることができました。

二つの経験を通して自分自身を守るため、見栄を張るためにスキルを得ようとしていた自分に気付いた堀居さん。

そこからはどのようなことに励んできたのでしょうか。

世の中に残る仕組みを作りたい

堀井:

そこからは友人の事業の手伝いをしていました。友人が考えていたアイデアがあり、それが世の中に役立つ仕組みとして残るものだと思い、手伝わせてもらうことにしました。



自分が携わることで少しでも仕組みが残って、助かる人がいるなら素晴らしいことだと思い活動していました。事業の内容は物流業界の効率を上げるためのマッチングサービスでした。



すごく非効率で、人手不足にも悩まされている物流業界の課題を、配達の形を変えることで解決していくというものです。事業はリリース後黒字の状態で、今現在もサービスは利用されています。



関わったのは4ヶ月ほどでしたし、アクションもすごく小さなものだとは思うんですが、僕の考えが変わった一歩目のアクションだったので、自分にもできるんだと思うことができた瞬間でした。

日本をよくしていく仲間づくり

堀井:

現在は、キャリア支援の団体のencourageでは副支部長を務め、約50人の21卒のメンバーの支援をしています。encourageに参加した理由はいくつかあるのですが、強く持っている想いは、イケてないと言われている日本にはまだまだ伸び代があるというものです。でも、それは僕一人が頑張ってもどうしようもないとも思っています。



だからこそ納得のできるキャリアを選択した学生を増やすことで、一緒に日本を良くしていく仲間を増やしたいと思い、参加することを決めました。



キャリア選択に対しての想いは、支援する後輩と組織それぞれ対してあります。後輩たちには一言一言に責任を持って関わると決めています。



ファーストキャリアという本当に大きな、選択に関わるので、その子の人生に与える影響は大きいと思っていて、その子の人生に向き合う覚悟が必要だと思っています。組織に対しては、今僕は東京に住んでいるので、オンラインで活動していて、広島でみんなが活動しているか不安になるときもあります。



でもメンバーはみな信頼できる仲間なので、安心して彼らに広島を預けつつ、僕は東京からやれることをやって組織に貢献しようと思っています。

IMG_4344

堀居さんが見据える未来

堀井:

来年からは社会人になるのですが、今の内定先に入社する理由は二つあって、一つは人生に何か残したいということと、もう一つは日本を良くしたいという想いです。ここまで話したように、僕自身いじめとかイップスとかで頑張ろうと思っていても頑張れない状態を何度も経験してきました。



でもそういう状態にある人って僕だけではなくて、世の中にもたくさんいると思っています。そして、それを引き起こしている世の中の仕組みを、頑張ろうと思っても頑張れない人たちを支えられるものに作り変えたいと思っています。



今すでに内定者として働いているのは、そういう未来をいち早く作りたいからなんです。そこで意識しているのは、これまでもそうだったように目の前の物事に熱中することです。僕自身、今の価値観は物事に全力で取り組む中で、様々な経験を経て生まれてきたものです。



やりたいことや目標がない人もたくさんいると思うんですが、目の前のことに夢中になって壁にぶち当たることを繰り返していくと、天職と言えるものが見つかったり、やりたいことがブラッシュアップされていくんじゃないかと思っています。

小さな努力を積み重ねて、少しずつ自分らしさを取り戻していった堀居さん。今の自分はもう何もまとっていないすっぽんぽんですと話されたのがとても印象的でした。


自分の言葉で活き活きと未来を語る堀居さんを見て改めて、人は変われるんだとその可能性を感じました。


今自分の気持ちがわからないなんて人も、目の前のことにひたすら打ち込んでみると、新たな可能性に出会えるかもしれません。

-ARTICLE

Copyright© STORY Walker , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.