夢中になれるものがなかった「優等生」が持続可能な社会を目指して奔走する理由とは-高島千聖

更新日:

「夢中になれることがあってうらやましい。」「自分はただ真面目なだけでつまらない人間だ。」「自分にしかできないことをしたい」



そんなことを何度も思ったことがあります。でも、どうしたら隣で輝いている彼、彼女みたいになれるかわからなかった。何もできないからずっともどかしかった。



今回取材した高島さんも高校まではそんなことを思っていたそうです。しかし、大学入学後、そんな自分を変えたいと思い、行動を積み重ねる中で少しずつ自分があこがれていた人たちに近づいてきたといいます。

自己紹介

高島:

立命館大学文学部地域環境学専攻3回生の高島千聖です。大学では、ざっくりいうと課外活動に力をいれてきました。



主にやっていたのは地方創生に関する取り組みで、学生団体に所属して1年生から幹部、2年生で代表をして、今は代表は降り、その団体のサポートをしています。



団体外でいうと一年生から農村留学に行ったり、離島のジャム屋さんのインターンをしたり、北海道で農業インターンをしたり、はたまた、インドネシアでソーシャルビジネスを学びに行ったり、シアトルでサステイナビリティを学ぶ留学に行ったりしていました

大学生活でたくさんのことに挑戦してきた高島さんですが、幼少期から積極的に何かに取り組むような子どもではなかったといいます。

真面目で責任感の強い子だった

高島:

幼少期から真面目で責任感の強い子でした。私は学生の本分は勉強だから勉強はやるものと決めてすごく真面目に勉強に取り組んでいました。



ただ、やりたくてやっているというよりも、やらないといけないことだから当たり前にやるというスタンスでやっていました。



それから中学になっても、ずっと真面目にコツコツ勉強していたので必然的に成績も上がりました。その結果、同級生や先生方から優等生レッテルを張られるようになり、学級委員とか何かの代表とかを任せられるようになりました。



私としては、学生として当たり前のことをやっていただけなんです。でも、みんなからはすごくちやほやされる。自分の評価と他者からの評価がずっとずれていて、そこに対して違和感を感じていました。



成績取ったらよしと評価されるんですが、私は勉強が好きで意欲を持って頑張ってるのではなく、ただ淡々とこなしているだけ。それを褒められるのが気持ち悪くて、なんか違うんじゃないかと感じていました。


そんなことをずっと思っていたので、徐々に周りの人が良いということは本当に正しいのかと思うようになりました。中学の進路選択のときに、先生から少しでも偏差値の高い公立高校に行くことを勧められたんですけど、それが意図する、世間的に良いとされる大学へ、就職先へというレールに乗ることに意義を感じられなかったんです。



それに加え、公立高校に行けば大学受験に備え、今までと同じようにただ黙々と勉強する日々が待っているのが見えたので、受験がなく、暗記型の詰め込み学習とは違った種類の勉強が出来そうな私立高校に行くことを決意しました。

変化を期待して入った高校生活

中学までは常に優等生として周りから期待され、その評価に違和感を感じていた高島さん。


私立の高校で今までになかった壁にぶつかることで新たな自分に出会えるのではないかと期待をしていたといいます。

高島:

高校に入ってからも成績優秀でした(笑)私は今までの暗記型の勉強じゃ評価されないと思っていたんですが、最初のテストで学年1位を取りました。



しかも順位が公開される仕組みになっていて、そのときは本当に最悪でした。入学当初から1位の高島さんとしてみられて、中学までと同じような日々が始まりました。1年生の間はずっとそんな感じでした。



ただ高校2年生のときに、文理選択があったことで少し状況が変わっていきました。私はどちらかというと文系の科目の方が得意でしたが、できない方に行こうと考えて理系を選択しました。


理系は先生方も力を入れているコースで、型にはまった勉強ではなくてアクティブラーニングという方法で授業がなされていました。それまでの暗記型の勉強ではなくて、自分たちで教科書を読んで疑問に思ったところを生徒同士でディスカッションするような学習でした。


そういう学び方を知ったのを機に、私のいろんなことへの向き合い方も変わり、それまでは読んで、暗記してそれを吐き出してみたいな感じだったんですけど、物事に対してなんでだろうという疑問を持ち思考するようになりました。


あとは理系に入ってから、自分とは違った尖っている人にたくさん出会いました。私はどの科目も尖ってはいないけれど均等にできる。彼らは、数学はめっちゃできるけれど、国語はあんまりできないみたいな。先生から評価されるのは私なんですけど私は尖っている子の数学には絶対に勝てないんですよ。


私はそういう尖った部分にあこがれていました。自分はこれまで常に「当たり前にやらないといけないからやる」という意識で取り組んできたので、好き」と言う気持ちで頑張れる対象を持っていることや、「これだけは誰にも負けない」みたいなのがあることがすごくうらやましくて。


私にとってのそれは何なんだろうと探すようになりました。その後、大学の学部を決めるときが来たのですが、自分が尖りたいと思うところが理系にはありませんでした。それで、すがるような思いで文系の学部も確認してピンと来たのが「地域」という言葉でした。

大学に入り自分も自分が好きなこと、得意なことを見つけたいと考えていた高島さん。地域という言葉に惹かれたのはどうしてだったのでしょうか。

地域に惹かれた理由

高島:

小さい頃から地元の田んぼや川で遊んでいたので、元々田舎に馴染みはありました。ただ地域に惹かれるきっかけとなったのは、授業で知った里山資本主義という本です。内容をざっくりお話しすると、今は資本主義社会で、お金中心に社会が成り立っているけれど、そうじゃない社会もあっていいのではと提言している本です。


お金以外にも、共感とか信頼とかをベースにして、里山にある資源を活用した仕組みで回っている地域の事例を取り上げていました。先ほども話したように、私は一般的な社会の正解とされるお金は稼いだ方がいいだとか、大企業に就職するとかに魅力を感じなかったんです。


だからこそ地域にあるお金じゃない豊かさや、ちょっと型にはまらないような生き方をしているところに惹かれたんだと思います。

挑戦にビビっている自分に気づいた

自分が夢中になれるかもしれないものに出会えた高島さん。


アルバイトでの経験を通して、自分が今までやりたいことを見つけたい、夢中になれるものが欲しいといいながら、挑戦できていなかったことに気付いたといいます。

高島:

大学入学前にアルバイトを始めたんですが、そこは初めての「成績優秀」「優等生」が役に立たない環境でした。これまではそういうレッテルである種、評価されていましたが、バイトではそんなものはないですし、学校では評価されない子が失敗しながらも仕事をもらってやっているのを見て、自分はそんなことはできないと思いました。


そういう子たちって、どんどんやって失敗してというのを繰り返すからうまくなるんだと気づいた一方で、挑戦したことも失敗したこともない私はただの頭でっかち


高校までの私は得意な勉強をして褒められてという居心地のいい環境にい続け、自分の枠をはみ出すようなことを何もしてこなかったからそうなってしまったんだと思いました。


これまでも留学や大学生との交流などいろんなチャンスはあったんですけど、それに挑戦しようと思うと失敗を恐れてストッパーがかかってしまって、チャレンジしない理由を探して自分を納得させていたんです。そのときにこれから大学ではビビらずにいろんなことに挑戦して色んな経験を積もうと決めました。

大学入学後

高島:

大学に入ってすぐにボランティア団体の説明会にたくさん参加して、そこにいる人にたくさん話を聞いて、自分を変えるために何かやりたいんですと話しました。するとたくさんの魅力的な先輩に出会えました。


特に大きな影響を受けたのは私が入った学生団体の代表の方です。その先輩はとにかく経験豊富な方で、自分で団体も立ち上げていて、同じ学生とは思えないほど深みがありました。


その深みは経験の多さから来るものだなと感じ、私もこういう人になって大学を卒業したいと思いました。そしてその先輩が自分の団体の幹部として一緒にやらないかと声掛けて下さったので、迷わず入ることを決めました。


今までの自分から変わると心に決めて行動しまくったら、うまいこと素敵な先輩に出会えたんです。そこからは自分を変えるために一直線でした。

団体での活動

高島:

その団体は実は私が入学する直前に立ち上がった団体でした。一人一人が輝く社会を実現するという理念のもと、地方に学生を連れて行って都市と農村の交流を生み、お互いにいい気づきを与えるような活動をしていました。


その団体に入ったのはそのビジョンに惹かれたことと、地方創生という事業内容に惹かれたことと、先ほどお話した代表の方に惹かれたことでした。やっていることは大きく二つあります。


一つは活動している地域に学生を連れて行って、地域の人たちと一緒にお祭りなどの行事のお手伝いや農作業のお手伝いをすること、もう一つは自分たちでイベントや企画を考えて実行することです。


幹部として入ったはいいものの、幹部の1年生は私一人だけで、出来たての団体だったので、先輩たちと一緒に団体の基盤から作る日々でした。

団体での困難

高島:

半年後、代表が留学に行ってしまい、代表について入った先輩方もみんないなくなって、いきなり私がその団体のリーダーになりました。その代表の方もオンラインで指示をくれたりはするんですが、実質現場を仕切るのは私でした。


団体自体もできて半年で基盤もできていない中、代表が突如いなくなったのでぐちゃぐちゃな状態になりました。メンバーのモチベ―ションも低い状態でした。でも私たちだけでやっている活動ではなく、地域の人もいる活動でしたし、尊敬する先輩が立ち上げた活動だったので、先輩が帰ってくるまでは維持したいと思って、必死で手足を動かしました。


地域の人たちと関係性を作ることと、今にもやめてしまいそうなメンバーのモチベを上げ、団体として成り立たせることが大きなミッションでした。


時には海外にいる先輩に相談しながら、私自身何度もその地域に行って、地域の人に名前を覚えてもらいながら活動し、同じ1年生のメンバーとはとにかくたくさん話して、何とかして団体の基盤を作りました。

困難の中でのモチベ―ション

団体のために奔走してきた高島さん。


突然団体のトップのような役割を担った彼女のモチベーションは団体のやっていることへの共感と挑戦するという大学入学前の決意だったといいます。

高島:

私は団体への共感度が一番高かったので当事者意識が一番高かったと思っていますし、団体を維持させるという強い想いがありました。また、自分が今までしたことがないことに挑戦するという想いもあったので、自分のためにもやるしかないと思っていました。


団体での活動は中高の部活と全然違って、自分たちで作り上げていくものだったので、組織の形とかから考える必要がありました。でも、どうやって運営していったらいいのかわからなかったので、学生団体の集いなどにも参加して、組織をどうまとめているのかを聞きに行ったりとか、知名度を上げたくて300人の授業に飛び込んで話をさせてもらったりとか、大人たちのイベントに入ってピッチしてアドバイスをもらったりしていました。


中高の自分だったら想像できないくらい自らアクション取っていました。ちょっと考えたら怖いなとかしんどいなと思うんですけど、これは私にとってもチャンスだし、団体にとっても必要なことだと思ってとりあえずやってみるという精神になりました。


そこからは団体の活動以外でもいろんなイベントに参加するようになりました。そこで学べることが多くてとても楽しくて、社会人しかいない環境にもどんどん飛び込むようになりました。


そうしているうちに、自分から外に出ていくことに対する壁がまったくなくなり、どこでも飛び込んでいけるようになりました。

やりたいことが見つかった村留学

団体での活動にのめり込むようになった高島さん。


その後もたくさんの挑戦をしてきたといいますが、そのきっかけとなったのは1年生のときに参加した村留学という体験だったといいます。

高島:

大学一年生の時に村留学というものに参加しました。8泊9日間、全国からやってきた学生と農村で共同生活をするんです。そこでの経験がその後の私の方向性につながっていきました。


大きく影響を受けたことが二つあって、一つは受け入れ先の村の方の生き方、もう一つは地域のリアルな暮らしに触れたことでした。一つ目についてですが、村の受け入れ先の方が型にはまらない人生を生きていることにすごく惹かれました。


その方は昔は海外を飛び回って今は地域で農家民宿をされて学生の受け入れをしていました。でも、その方がおっしゃったのは「自分は地方創生をしたくてしているわけではない。


ただ自分がやりたいことをやっているだけ」ということです。


やりたいことをやったその先に、人や社会への貢献があるというスタンスにすごく惹かれました。


二つ目については、地域のおばあちゃんたちと交流しながら、そこで生き方や田舎暮らしの知恵を教えてもらいました。例えば鶏の解体を経験して、食べるとはどういうことなのか、その本質に触れる体験をしました。


それらの経験を通して私が地方創生を通してやりたいのは、こういう昔から受け継がれてきた“人間本来の暮らしや知恵”を広げていくことだと思ったんです。


世の中がどんどん変わっていっても本質的なことは変わらない、私はそれを未来に受け継ぎたいと思ったんです。

興味のなかった海外へ

高島さんは村留学で自分のやりたいことが見つかりました。その後はもっといろんな地域の暮らしを知りたいと、離島でのジャム屋のインターンをするなど様々な地域を訪れて地域のリアルを経験したといいます。


その中でやりたいことの想いは強まっていきました。そこからは海外に行くという決断をしたそうです。

高島:

2年生から海外に行くようになりました。それまでは全く海外には興味がなくて、周りのみんなが海外行くっていうのが理解できなくて、「視野広げたいなら農村いけば広がるし」と思っていました(笑)


でも、いろんな地域に行く中で、海外に行ってから田舎に移住している人にたくさん出会い、そこにいる人たちが日本の田舎に関することをやりたくても一度日本を外から見た方がいいと口を揃えて言うので、そういう経験をしてみたいと思うようになりました。


また、私が海外に行くのをやめていた理由って語学に自信がなかったからで、逃げていただけだなとも思って、2年生のときに学校のプログラムでマレーシア、シンガポールに飛び立ちました。


行ってみると海外は日本とは全然違って、それが面白いなと思いました。そこからもっと深く海外についても知りたいと思うようになって、そのためには一時的に過ごすのではなく、そこで暮らす必要があると思い、シアトルで4ヶ月間サステイナビリティを学ぶ学校のプログラムに参加しました。


サステナビリティに注目したのは理由があって、地域に行った時に水の循環とか自然と共存する知恵を知って、ここには今後キーワードになるであろう“持続可能性”があるなと思っていたんです。

高島:

そして海外で勉強をしてきて気づいたことは、確かに日本よりも持続可能性について先進的に取り組もうとはしていましたが、それってやっぱり日本の田舎にもあるということでした。


例えばシアトルでいうとコンポストっていう生ごみを土に返す取り組みをしていたんですけど、日本の地域もやっているし、海外の事例はすでに日本の田舎にあると思ったんです。


そこから日本の地方は一周回って最先端の取り組みになると考えるようになり、田舎にさらに魅力を感じるようになりました。

高島さんが描く今後

高島:

私は究極的にはイキイキワクワクしてる人を増やし、持続可能な社会を創りたいと思っているんです。というのも私自身が、大学入学まで好きだと言えるものが全くなくて苦しみました。


でも大学から、自分で考えて行動して、たくさんのイキイキとしている人との出会いを繰り返すことで、人生がすごくいい方向に変わったなと思っています。


私はそういう人たちからパッションをもらったし、そのパッションを今度は広げていきたい


だからこそ、自分自身がワクワクを与えられる側になりたいですし、同じように志を持った人をサポートしたいです。そして、その手段として今まで関わってきた都市と農村の交流を促進していきたいなと思っています。


地域にいる人と都市にいる人がお互いに出会うことで価値観を交流して、今までになかった気づきが生まれることにすごく可能性を感じています。その結果、地域にある本質的な価値を世に残し、地方から日本全体を元気にしていきたいです。

高校生までは自分のやりたいことを見つけることが出来なかった高島さんでしたが、インタビューでは自分のやりたいことをイキイキと語られていたのが印象的でした。


そんな高島さんが変化をするうえで大切だったことは、まず自分の気持ちに素直になってみること、そしてその想いに従って少しコンフォートゾーンを超えて行動してみることだったそうです。


輝いて見える隣の彼、彼女みたいになりたいと思っているあなたが見るべきことはまずは自分自身の方なのかもしれません。

-ARTICLE

Copyright© STORY Walker , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER.